人には誰でも秘密にしなければならないことがある。一度秘密にしようと決心したら墓場まで

持っていかなければならない。

そういう人が人生の最後に自分の肉体と、地位や名誉や財産やetc......を

最期には燃やしてなくなってしまう。

そんな時、秘密とともにあの世までも一緒に持っていける絵があったらどんなにいいだろう。

どんなに心が安らぐだろう。

毎日その絵を見ながら、日々の責任を果たし生きる力になれる絵を、今描いています。

その人の守護神は大自然の中では大樹なので、大きな木を描きます。

依頼人の方のご希望が6月20日前後なのでそれまで間に合わせるように描こうと思うのだけど

こういう依頼は初めてなので、本当に大切に描かせていただこうと思います。

今日はこれから遠くから私に会いたいと希望される人と対面カウンセリングをするために、池袋に行きます。

快晴で気持ちの良い日です(^_^)/

 

 

以前聞いた話だけれど、がん患者の末期の人7人が登山して、10年後の調査したところによると

5人がお元気で登山をされてるという記録があるそうだが、人間はいくつになっても

生きがいができたら、それに向かって頑張れる。

人間も年取ったら我慢はいけないなぁ...もう今まで我慢の連続だったり、ストレス抱えた職場で

戦士だったり、もう我慢なんかしなくていいんだよ!

泣きたい時に大泣きするといいんだって!だから悲しかったら大泣きしてストレスを涙と一緒に流して

浄化すると元気になれるらしい。

それと同じように笑うのもよいらしい。できるなら好きな人などと一緒に笑って生きるのがよいらしい。

いくつになっても生きがいは作ればできる。

若いころなんか生きがいなんかなくったって元気でいたけど、この年になれば生きがいの大切さは

身に染みてわかってくる。

何でもいいから自分が一番したいと思うことを、しがらみを取っ払ってやってみるのもいいのかもしれないね。

もし病気で苦しんでる人がいたら、とりあえず大泣きしてみると少し楽になるかもしれない。

今夜は冷たい雨とひどい雷で、パソコンがダメになるようなバリバリっという音で激しい稲妻です。

この雷の中で大泣きもいいかもしれない。

ちょっとこれからやって浄化してみましょうか(笑)

私の夫の母はとても可愛い人で、また美しく品のある人だった。私たちは親子以上に仲がよく

いつも一緒に暮らしていたので、大変な生活の中にもこの母・・ばあちゃんと呼んでいたが、この人がい

つも、過保護なくらい(実際夫はこの人の過保護で育ったのだが)可愛がってくださった。今は92歳だが

今でも世の中で私のことが一番好きだといってくれる。寒い寒い東北で、夜遅く仕事をして帰宅すると

まずばあちゃんの部屋にあいさつに行っていたが、寝ている布団に穴を作り寒いべ・・あったまれ!といって

嫁の私を赤ちゃんのように足をあっためてくれました。その母がよく言ってた言葉に「たくさんさっしゃい」

という言葉があるが、これはいい加減にしなさい!とか、足ることを知りなさい・・とかの意味があり

もっともっとの心を抑えるのには最高の言葉だと思うが、このばあちゃんはいつも言っていたことを思い出す。

辛い結婚生活の中でこの母と巡り合ったことは私が女性として大きく学ぶことができた、ほんとうに

嬉しいことでした。お別れしなくてはいけない時、この母は肩を落とし、「んだかぁ・・・行くのかぁ・・

しょうないしょうない・・誰悪いんでもない、世の中が悪いんだ。体に気を付けてな・・と言って、泣いて

る私の背中を

ゆっくり撫でてくれた」

どんなにつらくても、この家に骨をうずめ、この母の最期を看取りたいと思っていたが、叶わぬこととなった。

今朝、桜沢如一さんの「ゼン・マクロビオテック」という本をまた読んでいて、出だしの部分で

幸福への道というところを読んでいて(ここは何度も読み返してしまうのだが)

東洋の人が数千年前に、幸福とは次の五つの条件(五福)を満たした生き方であると定義しているものを挙げておられるので下記に記します。

? 健康的で、生産的で、生き生きした、長い一生を生きる喜び(寿)

? 金銭的な心配からの解放 (富)

? 不慮の死に至るような事故や障害を避ける直観的な洞察力(康寧)

? 無限の宇宙を動かす秩序への敬愛(好徳)

? 永遠に先んじるものは、常に最後であれという心理の深い体得(考終命)

これは、勝者はいつか必ず敗者になるという、人生のあらゆる面においてすべてのものは移りゆく。

今日の流行も明日は時代遅れとなる。

最後になることを恐れない謙虚な人だけが、幸福の真髄である [足る」 を知っている。

という言葉に触れるたびに、ばあちゃんの「たくさんさっしゃい!」と笑顔でいつも言ってたことを

思い出す。

私はこの沢山さっしゃいが、一番できない人間だから、食べれば食べすぎるし、人を愛したら

愛しすぎる・・・たくさんさっしゃい!と私はいつも自分を戒める。

みなさんもどうか、上記の桜沢如一さんの文章にある幸福の条件を参考にしてくださいね!

今日も頑張ろうね。

今朝、久しぶりに旅に出たいと思った。日常と離れた心で自分を見直すチャンスの時に

旅は良い。

ずいぶん昔、結婚直前に京都に一人で旅をした。マリッジブルーというのだろうか・・旅館の女将さんが

何度もお部屋になんだかんだと言っては私の様子を見に来た。

自殺でもするのではないかと思ったのだろう。 京都の旅は何事もなく終わりましたが帰宅する

新幹線の中で

 

朝焼けの中でコーヒーを立って窓から眺めた景色を忘れることができない。

今人生を振り返ると、あの時に迷ったことはその先の結婚生活の不安を暗示していたのかなぁ・・・と

も思うが、人間は先にわかるものではなく

後にわかるという幸せをもらっている動物だから、これでよかったんだなと思う。

何でも先にわかってしまうと、絶望だけが残るのが人間なのだと思う。パンドラの箱というのは

そういうことなのだろう。

人生は旅に似ている、ほんのひと時を共有し合って、また、お別れして、また出会っての繰り返し

旅も終りに近ずくと、隣に腰かけた人とのご縁を今まで以上に大切にする気持ちになる。

生きるってそういうことなのかもしれない。今は出会った人を極みまで大切にするのが

幸せを紡ぐという時の白髪まじりの人生の季節になりました。一人一人を大切にして生きていたい(^_^)

今朝は晴れて気持ちの良い朝だったから、こんなことを考えたりしていました!

皆さんも今日一日豊かにお過ごしくださいね!

 

ずいぶん長いこと、私のテーマだった信じるということを最近よく考える。

自分が不幸だと感じるときは(自分の場合は)人を信じられなくなったりした時など、何か生きる意欲が

なえてくる。

たとえば友人だったり、たとえば夫や妻だったり・・・相手は変われど、自分の信じ方が

自分に都合よく信じようととした時から不幸は始まる。

血気盛んな若いころはなおさらで、子供などは親が都合よく子供を信じることをすることにより、

何か歯車がかみ合わなくなることもあるかもしれない。

今、この年になり言えることは

素直になって、人を心の底から信じて、極みまで大切にするということをしていると、

自分の人生も、相手の(夫や妻や、子供や、職場の人など)人生も

明るく好転していくということは言える。

自分に都合よく信じることをやめて、少しだけ相手を信じる姿勢になれば

今抱えている苦しみも、少しだけ好転していくのだと思います。

人生のエキスを何か一つと言われたら、私はこの信じるということをお勧めするだろう。

自分が満たされ豊かになりたかったら、ぜひ実践してみてくださいね!

なぜ、この世は苦しみが多いのだろうか?私は幼いころからいろいろな大人の世界を観ざるを得ない

環境だったから、よけいにそのようなことを普通の子供より多く考えていたのかもしれない。

どんな人もひとたびこの世に生まれたからには、様々な苦しみの連続で、終点は「死」であると思うが

肉体をもって生まれるのだから、切れば痛いし血もでる。この肉体をもったがゆえに起こる苦しみが

この世だけの苦しみで、あの世にいけば肉体はないのだから肉体が感じるような痛みはないだろう。

それだからこそ、この世の痛みは魂の喜びに変わり、あの世ではこの世は光り輝く存在であるので

はないかと考えるようになった。

何転生も生まれ変わり、その都度自分の煩悩を修正しようと生まれ変わり、前世での直せなかった

部分を少しでも修正すべく、生まれてくる前にあの世で修業を積み、いよいよ生まれるという時に

自分で苦しいテーマを選んでくるのだと思う。(直せなかったテーマ)

だからこそ、苦しいことのほうが多い人生なのだろう。本当の使命や、本当の自分に出会えることは

苦しいことの中しか見つけられない。

自我を砕いたときに初めて自分の使命が明確に見えてくる。

そのためのこの世だと思う。こんなにこんなに苦しい毎日なのに、それでもお釈迦様は

「なんと、この世は甘美なるものなのだろう」と苦しみの中で言われたとされているが、どんなにつらく

苦しくても

それでも、この世はもう一度生まれてきたい甘美な世界だと思う。それは、この世でしか味わえない

のが苦しみだからなのではないかと思うのです。

だから、今苦しみの中にある人は自分だけが苦しいのではなく、みんなこれを味わうために生まれて

きているということを知ることが大切だと思います。

皆さんが、今の苦しみにより、自分の自我を砕き本当の自分に出会えることを祈っています。

 

昨日、同級生の人から還暦同窓会の名簿と写真が送られてきた。

私が出席しなかったので、親切にも送ってくださったのだった。

一言が返信のお葉書に書いてある言葉が来てない人の一人一人の欄にのっていた。

一人一人読んでいたけど、ある一人の人の欄で固まった。

昨年の震災で、娘と孫を無くしましたのでまだ外には出れない気持ちです。と書いてあった。

なんてことなんだろう!

この年で、一度に可愛い娘と孫を失うなんて!昨日からその女性のことばかり考えていた。

この年で、大切にしているものを喪失するのはつらい。いくら慟哭しても帰ってはこない!

その人のことを祈らないではいられない。

あのころはみんな同じ輪の中にいて、その後みんなそれぞれの人生があり、未来がこんなふうになるなど

誰もわからない。それが人生なのかもしれないが、あまりに残酷すぎる。

どうかその人の心に光と、天国の娘さんとお孫さんに光をと強く祈った。祈ることしかできない!

どうか、この祈りがその人に届きますように!

そして、今生きていることを極みまで大切にすることができますように!

久しぶりに「ひまわり」という映画音楽を聴いた。

懐かしく切なく、胸をえぐるような悲しみに満ちた別れ・・・人にはどうすることもできない別れが

ある。

でも選択することで、ハッピーエンドになることもあるだろうけど、切なくお別れするからこそ

美しいのかもしれない。

こういう静かで、ひたむきな映画というのが最近少なく感じるのは私だけだろうか?

激しく、静かで、そして悲しく、切なく胸に迫る最近の映画が見たいなぁ――と、ふと思う。

今日、自筆の絵の作成をしていたら、知らない電話番号の人から携帯に電話があった。

カウンセリングの人かと思ったら、高校の時の同級生だった。

先日同級会があり出席できなかったけれど、出席した人としなかった人の名簿を見て、勇気を出して

私に電話をくれたそうだが、もうびっくりして42年ぶりのその人と会話をして、一挙に

青春時代に心は飛んでしまった。

「幸せを呼ぶ運命力の磨き方」というマキノ出版の去年出した本があるのだが、その中に母の再婚した人から

虐待を受け、その地を去る日tのことが書いてあるのだが、バスを追いかけてきてくれた友達が

ちぎれるほど手を振り遠くになったときに、本当の孤独が襲ってきた様子を細かく書いたが

その場面を思うといまだに涙がこぼれてくる。

今日の電話はその時、手を伸ばしても伸ばしても手が届くことなくさよならした友人だった。

私の中では重いことだったが、その人などはそんなことは忘れているかと思っていたけれど

その人の中でも辛い青春の一場面だった

と言ってくださいました。

42年もたって、あの時の記憶がわたしはあいまいになっているのかなぁ・・と本を書くときに思っていたけれど

私の中でも、その友人の中でも、はっきりと心にそのことが焼き付いて離れなかったことを今日知った。

涙で絵が描けなくなった。

もう取り戻せない時間や、いろいろなことが心を駆け巡る。

青春っていいな!辛い思いでさえも宝石のように感じる。

いつまでもみずみずしい心だけは大切にしたいなと改めて、勇気を出して電話してくださった

その人に感謝の心でいっぱいになった。

 

先日、和紙のはがきを買ってきた。

手作りで、とても書きやすい。

書いた後触ってみると、温かくて柔らかくてなんだかほっとする手触り。

目立たないけど、そっと結城紬を着てたたずんでいる人のように感じる。

日本の国はこれからどうなっていくのだろう・・こんな素敵な文化があるということを

今更ながら嬉しく思う。

小さなことだけど、こんな気持ちを大切にして生きたいな。

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